市長メッセージ

『地方にある世界の港町』を目指して
海と生きる、気仙沼の決意

菅原 茂

宮城県気仙沼市長

気仙沼市役所の市長室に入って、まず目に飛び込んできたのは、『出来ませんとは言いません』という力強いメッセージの額縁でした。
「本音を言えば、『出来ません“しか”言えません』という状況でしたが、私たちが弱音を吐くわけにはいかない。まずは気持ちだけでも、という思いでした」
震災当時の様子を振り返りながら、おだやかな笑顔で迎えてくださる菅原市長。その想いに応えるかのように、気仙沼は少しずつではありますが、着実に復興に向かって進んでいます。そして、ここからさらに一歩進んだ『未来の地方都市』を実現するために。菅原市長は気仙沼の新しいまちづくりに力を貸してほしい、とIターン・Uターンに期待を寄せています。

多大な被害を受けた状況から立ち上がるためには、地元の頑張りはもちろんのこと、外部の方々の支援も欠かせませんでした。菅原市長は彼らへの感謝の気持ちを、こう表現しています。
「復興支援のために、都会から多くの人が気仙沼を訪れてくれています。期間や時期は人それぞれですが、中にはこの場所への移住を決意してくれた方もいる。本当にありがたいことです。それに、彼らと接する中で、私たち自身が改めて気仙沼の魅力を教えられることも少なくありません。海や山といった自然の豊かさ、人と人のつながりの強さ。食べるものに関しては特に驚かれるみたいですね。名産であるホヤは、都会で食べるのとはまったく違う食べ物だと言われますね。昔も今も、気仙沼はやはり漁業のまちです。水産物を中心とした地域の持つポテンシャルを、強く実感しています」
これまでにも、支援に訪れてくれた多くの人たちから刺激を受け、化学反応を起こすように新しい取り組みが生まれてきた気仙沼。もっと多くの人たちと、一緒に新しいまちづくりを進めていきたい、と話す菅原市長。受け入れ体制もしっかり整えられています。
「恵まれた自然や、豊富な海の幸・山の幸。その一方で、インフラや施設など都市の機能も兼ね備えている、バランスのとれたまちだと言えると思います。そして、世界へと発信するフィールドがある。ぜひ多くの人に気仙沼の魅力を知っていただき、訪れてほしい。そのために、受け入れる私たちも全力で取り組んでいきます」

2013年4月、気仙沼市は『スローシティ』に認証されました。スローシティ運動とは、イタリアではじまった“地域の個性を重視した新たなまちづくり”のこと。地方中小都市の生活・文化・歴史を再評価し、さらには持続可能性などを重視したうえで、住民が主体的にまちづくりに取り組んでいる都市に認められるものです。審査には、自然環境や食などの生活環境、インフラ整備、風土を活かした都市づくり、地域の特産品、おもてなしの心、コミュニティの取組み、高い市民意識など、50項目以上の細かい条件があります。日本には、“スローフード”運動をおこなっている地域はたくさんありますが、スローシティとして認められているのは2015年現在国内唯一、気仙沼市だけ。さらに菅原市長は、地方でありながら刺激的なまち、気仙沼の魅力について、こう語っています。
「今日(取材当日)、今年初めてカツオが水揚げされました。一瞬のうちにSNSで広がったんじゃないでしょうか。この日は毎年、まるでお正月が来たみたいに盛り上がる。田舎ならではの静かで落ち着いた雰囲気と、カツオやサンマが水揚げされた時の熱気、静と動のどちらも感じることができます。また、夏は海水浴もできますし、冬には雪が降る地域です。そんな四季のコントラストも楽しんでいただけると思いますよ」
都会では感じにくくなった季節の移り変わりを、まさに肌で感じることができるのは、とても魅力的ですね。

気仙沼に住みはじめた方にこのまちのいいところを聞くと、もっとも多く聞こえてくるのは、“人の良さ”。たしかに、まちを歩けば、地域の人たちがとても気さくに話しかけてくれます。その温かさに、何度心が癒されたかわかりません。
「よく話しかけてくれる、と外から来た方は驚くようですね。この土地には、お世話好きが多いのかもしれません。気仙沼でしか通用しない方言で“お世話のくまんつぁん”という言葉があります。たとえば、人が集まって何かをやろうとすると、必ず誰かがお世話役を買って出る。時間や場所の調整をしたり、いろいろとおせっかいを焼いたり。『あぁ、今日はお世話のくまんつぁんしてるんだね』なんて言われるわけです。少し目立ちたいという気持ちはあるかもしれませんが、そこに私欲はない。誰かがやらなきゃいけないなら自分がやる、という気概が、気仙沼の人たちの特徴かもしれません」
気仙沼は、古来から遠洋漁業が盛んな港町。国内外から海を渡ってくる漁船の往来が激しいため、自然と人を受け入れる文化が根付いているといいます。都会では子どもに、知らない人に話しかけられたら気を付けて!と教えなければいけませんが、ここには地域みんなで見守り支え合って生活をする文化があります。こうした文化を守り、未来へと継承していく。菅原市長は、これからの気仙沼についても、確固たるビジョンを持って語ってくださいました。

「復旧ではなく復興。使い古された言葉ですが、私たちの基本的な考え方です。人口減少や水産業の衰退、これらの問題は震災のあるなしに関わらず、日本の地方が抱えている根本的な社会課題です。元通りにすることに意味はありません。それらの課題を乗り越えて、さらに発展させることが重要です」
元通りの下降線に乗せるのではなく、さらに上を目指していく。そのためには、どんな取り組みが重要だと考えているのでしょうか。
「“海と生きる” ― 市のキャッチフレーズでもあるこの言葉は、震災を機に、気仙沼に根付いているアイデンティティだとみんなが改めて実感しました。しかし、魚を釣って、売るだけでは競争力がなくなってしまう。オリジナルの製品を開発していかなくてはいけません。一過性のアイデアだけではなく、長く続く独自技術をもって製品化をしていくことが、これからの産業発展には大事になると思います。そういう意味でも、外から来る人たちの力には期待しています。田舎の人だけでやっていると堂々巡りするところも、彼らと一緒なら簡単に垣根を越えられることもある。化学反応と言うと大げさかもしれませんが、地元に続々と登場しつつあるリーダーたちと、刺激的な外部からの支援者がひとつになることで、新しい気仙沼をつくっていくことができると信じています」
都会の真似はしない。“海と生きる”気仙沼ならではの確かな技術で差別化をはかる。菅原市長は未来に向けて、力強く想いを語ってくれました。気仙沼が目指しているのは、『地方にある世界の港町』。世界に目を向けて発信していくその姿に、菅原市長の柔らかな笑顔からは想像できない熱いエネルギーを感じました。

菅原 茂

宮城県気仙沼市長

昭和33年生まれ、宮城県気仙沼出身。大学進学にともなって上京し、卒業後は大手商社に就職。その後、気仙沼に戻り、衆議院議員公設秘書などを経て、2010年より気仙沼市長に就任。Uターンを経験し、都会にいては気づくことのできない地方の魅力を再認識している。「東京ではいろんなものに囲まれて、世界は広いように感じたけれど、興味関心の幅が狭いことに気が付いた。家族や親戚、地域、産業といった自分を取り巻く環境の範囲の広さは、地方にしかないと感じている」