この地域で活躍する人々

復興に向かう気仙沼の
経済のエンジンとして、
新たなチャレンジを支援したい。

布田 真也

気仙沼信用金庫

茨城で生まれ育ち、ここに来るまでは一度も実家をでたことがなかった布田さん。結婚を機に、2014年、奥さまのご出身地である気仙沼に移住してきました。気仙沼信用金庫で働きながら、休日は優しい顔を見せる一児のパパでもあります。愛するご家族と、第二の人生をここ気仙沼でスタートさせて約1年。日々の暮らしや気仙沼信用金庫の復興支援課で感じる使命について、現在の心境を伺いました。

「当初は、外からの人間が受け入れてもらえるのかなという不安はありましたね。でも実際に住みはじめてみると、みなさん思っていた以上にオープンな方ばかりでそんな心配はすぐになくなりました」

お子さんが生まれてからは、さらに気仙沼の住みやすさを実感しているのだそうです。

「子育てはしやすいと思います。田舎のつながりという感じで、外で子どもと遊んでいるといろんな人に声をかけられますよ。都会だと『知らない人に声をかけられたら逃げなさい』と教えなきゃいけないけど、ここはそんな必要ないですね」

迷子になっても誰かがうちまで連れてきてくれそう、と笑いながら語る布田さん。地域コミュニティの中で安心して子育てできるのも、気仙沼の大きな魅力なんですね。

布田さんが勤める気仙沼信用金庫は、気仙沼市役所から海方面へ歩いて3分。海の気配を肌で感じるこの場所で、日々の仕事に打ち込んでいます。茨城で働いていた当時、どうやってここの仕事を見つけたのでしょうか。

「前職が銀行員でしたので、同じく金融機関で働きたいという想いがあったため、宮城県内の金融機関を調べて、WEBサイトをひとつひとつ見ながら探しはじめました。そこでたまたま、募集を出していた気仙沼信用金庫に出会ったんです。テレビやインターネットで、気仙沼市全体が、企業に寄り添った取り組みをしていることは知っていました。しかも信用金庫なら地域に根ざした活動ができるだろうと感じ、志願したんです。決め手になったのは、面接の時に感じた人柄や職場の雰囲気の良さでした。実際働きはじめて思うのは、みなさん思った通り気さくな方ばかりということ。おかげで違和感なく、すんなりなじむことができました」

布田さんの所属する復興支援課は、販路開拓、起業家支援など、地元地域の活性化に特に力をいれています。どんなところにやりがいを感じますか?という私たちの質問に、強いまなざしで答えてくれました。

「復興はまだ道半ば。被災してしまった企業さまのサポートをする一方で、新たなチャレンジをはじめる企業さまの支援も積極的におこなっています。最近お会いした中で印象的だったのは、移動販売のスーパーさん。仮設住宅に住んでいるお年寄り向けのサービスです。なかなか買い物に行けないお年寄りのために、移動販売式のスーパーをはじめられたんです。気仙沼の現状を見つめることから生まれる新たなビジネス。こうした事業が発展していくことで、街全体が元気になっていってほしい。復興に向かって何かをはじめるとき、どんなに想いが強くても資金がないとスタートできないじゃないですか。そこを、私たちが経済のエンジンとなって、事業の発展が加速するよう支援していく。この仕事の大きな責任とやりがいは、そこにあると思っています」

「私自身、この町で住みにくさを感じたことはないですね。不便なことはあるかもしれませんが、外から来た人でも新しいことにもチャレンジしやすい環境だなと感じます。震災後にここへ移ってきた方も多く、また起業する方も増えています。私たち地元の金融機関だけでなく、行政も一丸となってそうした取り組みをバックアップしています」

気仙沼は、日本を代表する港町。しかも古くから続く遠洋漁業の基地のひとつ。人の出入りが盛んだった歴史が、外からの人を受け入れる文化をつくりあげたのでしょう。いま気仙沼では、新たなチャレンジをする人に追い風が吹いています。

布田 真也

気仙沼信用金庫

1986年、茨城県生まれ。大学卒業後、地元の銀行に5年勤務。その後、結婚を機に妻の地元である気仙沼へ。2014年より、気仙沼信用金庫復興支援課にて法人営業を担当。資金支援の側面から、気仙沼の復興を支えている。地元の人に頼られる人になりたい、と精進する日々。家庭では一児の父。平日はお子さんのお風呂を担当するなど、子育てにも積極的。