この地域で活躍する人々

気仙沼の復興が、
日本全国の水産業の発展に
つながるように

松井 崇憲

気仙沼市 震災復興・企画課

気仙沼に移住して、約1年。この土地に縁もゆかりもなかった松井崇憲さんが、気仙沼で働こうと思ったきっかけは、日本の水産業への強い想いでした。それまで、気仙沼を訪れたことはなかったのですが、地元大阪にも気仙沼のカツオが多く出回っていたことから、常に意識はしていたそうです。

「大学時代から水産学を学び、魚の養殖研究の仕事に就いていました。気仙沼ほど人口の多いまちで、水産業が基幹産業として成り立っている都市はとても稀なんですよ。気仙沼の発展は、日本全国の水産業の発展につながる。ぜひ貢献したいと思いました」

もともと大学や就職先で各地を回っていた経歴もあり、新しい土地に住むことは抵抗がなかったという松井さん。むしろ、日本ならどこでも快適な暮らしができる、と不安はまったくなかったといいます。

「研究と市役所の仕事って、全然違うんじゃないの?ってよく言われます。でも僕にとってはそれほど大きな違いはないんです。どちらも一つのゴールに向かって、どんなプロセスで解決に導くのかを考え実行する。時にはチームを組んで、それぞれの役割の中で力を発揮していく。仕事に対する考え方や取り組み方は変わりません。研究で実験をしていたのが、机でパソコンと向き合うようになった、くらいの違いでしょうか」

松井さんがこれまで培ってきた研究職での経験は、いま気仙沼の行政という新しいフィールドで活かされています。

松井さんが働いているのは、気仙沼市役所の震災復興・企画課。震災復興に関わる事業全体の取りまとめや各部間の調整業務、外部からの問い合わせ対応など、幅広い業務を担当されています。

「たとえば災害公営住宅でいうと、建設に関わる部署から、竣工後は住宅に関わる部署へ。さらにその後には地域コミュニティづくりのための関連部署へ、と様々な部署へとつながっていきます。一連の流れをすべて把握して取りまとめるのが私の仕事です。今、住宅の引き渡しがはじまっていますので、最近では引っ越し手続きに関する問い合わせも多くなりましたね」

住民の方々の安心した暮らしや雇用の安定など、自分の仕事が復興復旧に結びつくことが何よりもやりがいを感じるとお話してくださった松井さんですが、難しいと感じる部分もあるそうです。

「私自身が被災を経験した人間ではないので、十分に気持ちを理解してあげられているかどうか、不安に思うこともあります。足りない部分はあるかもしれませんが、震災前に戻すだけでなく、以前よりも良い生活を提供していきたい。少しでも、暮らしの中に心のゆとりをもってもらえるように、取り組んでいきます」

復興復旧だけでは終わらせない、このまちがどんなふうに発展を遂げていくのかを見届けていきたい、と松井さんはその瞬間を思い浮かべてわくわくした様子で語ってくれました。

「目指しているのは、気仙沼の人たちの暮らしが豊かになること。それは、気仙沼の水産資源が循環し、作ったものがきちんと売れて消費されている状態です。これを実現させることは、地域全体の活性化にもつながっていきますから」

松井さんは、気仙沼に骨をうずめる覚悟を決めています。将来は、このまちにご両親も呼んで一緒に暮らしたいという夢を持っているそうです。

「親をこちらに呼ぶ頃には、気仙沼が子どもを持つ人にも高齢者の方にとっても住みやすいまちになっているといいですね。まだまだ課題は多いですが、成し遂げていきたいと思っています」

最後に、気仙沼のいいところを聞いてみました。

「やっぱり水産物ですね。できるだけ自炊をするようにしているんですが、気仙沼の美味しい魚を、もっと美味しく食べるにはどんな調理法があるかなって試行錯誤するのも楽しいです。最近のヒットは“メカジキのハム”。休みの日に家で燻製にするんですよ。これが本当に美味しかった!たくさんの人に知ってもらいたいですね」

地方には娯楽がないと、抵抗を感じる人もいるかもしれません。でも、自分なりの楽しみをその土地で発見することこそ、地方で暮らす醍醐味なのだとつくづく考えさせられます。まちを大切に思う人たちが集まる場所、気仙沼。このまちが元気になる日が待ち遠しいですね。

松井 崇憲

気仙沼市 震災復興・企画課

大阪生まれ。大学では水産学を専攻していたことから、卒業後は大分県の水産研究機関に就職し、魚の養殖についての研究に従事。2014年4月、日本の水産業の未来には、気仙沼の発展が重要であると感じて移住を決意し、気仙沼市役所に転職した。水産業とともに発展したまちで暮らす人々を支えていくことで、日本の水産業に貢献していく。